https://note.com/piroshi3/n/n905c23964922
シリーズとしてお届けしてきた『最初の10年の仕事の仕方』の外伝的ポジションとして
今回の記事を書くことにしました。
なぜなら25周年を迎えたプレイステーションの“お祝い的”な思いを込めて
当時を振り返ってみようと思ったからです。
というのも有限会社サイバーコネクト(現サイバーコネクトツー)はプレイステーションが
無かったら存在しなかった会社です。
(サイバーコネクトは最初はプレイステーションのゲームソフトを作る開発会社として立ち上がったのです)
当時の我々(サイバーコネクト)が“そう”考えた理由でもあるのですが、
ゲーム業界全体から見てもSCE(現SIE)がプレイステーションで起こした
“革命”は非常に大きなものでした。
私自身が認識している最も大きなポイントを3つ挙げたいと思います。
①大容量&メディア革命
それまでのゲーム機は当然ながらファミコン・スーパーファミコンと任天堂が作ったゲーム機・ゲームソフトでみんなビジネスをやっていました。
ご存知の通りROMカセットでした。容量を増やすためにはどんどん基盤を大きくする必要があって同時に原価も勿論高くなるというシステムだったのですが、
プレイステーションはCD-ROMでいきなり大容量!しかも(CDですから)原価が安い。(スーパーファミコン末期に発売された『ドラクエⅥ』は11,400円で発売されました)価格も一気に下がってほとんどのプレイステーションタイトルは5,800円で発売されました。
ゲームソフトの値段を“ファミコン初期”の頃まで戻したのは大きかったと思います。また大容量であるため音楽(音源)が豊富に使えてムービーまで再生出来て3DCG(ポリゴン)でゲームの表現が飛躍的にアップしました。
任天堂ファンの古傷をえぐるようなまねを
そんなのあちこちで言いまくってその後、任天堂ハードでソフト出したいのになかなか許してもらえず
デジキューブも土下座してなんとかなるならなんでもしますよ!
とか言ってたあのスクウェアさんのこと?
一番我々が恩恵を受けたのが実はコレです。(一般の人にはなかなか見えない部分だと思いますが)当時のSCEはプレイステーションの立ち上げと共に“ゲームやろうぜ!”
という業界内施策を開始して若いクリエイターの独立・企業支援を行ったのです。この辺は元になったSME(レコード会社)的発想だったと思うのですが
“ゲームクリエイター=アーティスト”という位置づけでまるでミュージシャンを発掘するかのように若いゲームクリエイターを応援してくれました。
この制度があったおかげで当時25歳の若造だった私も有限会社サイバーコネクトを友人達と一緒に立ち上げることが出来たのでした。(そしてこの頃から色んなゲーム情報誌に各社のゲームクリエイターのインタビューなどが掲載されるようになったのです)
なるほど
これが終わりの始まりだったのね
>>9
>なんかこんなにプレイステーションやSCEのことを絶賛するとまたどっかの頭のおかしい人が“じゃあ、
ぴろしは任天堂が嫌いなんですね”とか言い出すことまで容易に想像できますがもういいや、 知らん。
>>19
でもこれ、嫌いなのは否定してないよな。
嫌いじゃないし好きじゃないから両方の好き嫌いなところポンポン言えるんじゃないかと
そりゃサードはSIEに付くはずだわ
個人的に一番大きい(嬉しい)と感じているのはやはり③で“作る人たち”を増やすために新しい施策を実施してくれたことです。
それともうひとつ。
若いクリエイターを支援することでゲームクリエイターを新たに生み出し、“ゲームファン=子供”だけでなく大人(特に女性)のユーザーを増大させたことが業界貢献的にも大きかったと感じています。
オシャレでしたよね、プレイステーション。
なんかこんなにプレイステーションやSCEのことを絶賛するとまたどっかの頭のおかしい人が“じゃあ、ぴろしは任天堂が嫌いなんですね”とか言い出すことまで容易に想像できますがもういいや、
知らん。
いいじゃん、最初に“25周年のお祝い”って言ってるんだから。
良いことばかり言っても構わないでしょ、今回くらい。
お仕事をやってる人であればどんな業界であれ“悪く言おうと思えばいくらでも言える”ってことはご存知でしょうから。
(要はプレイステーションや当時のSCEに困らされたことはいっぱいあるよってこと、けど今回はお祝いだからあえてそういったことは書かないよってことですよ)
では改めまして。
プレイステーション25周年おめでとうございます。
どっかのあたまおかしい人なんて無視すればいいのに態々こんなこと書いちゃうとはなぁ
頭おかしい人向けにブログ書いてるわけじゃないだろうに
>>12
>(要はプレイステーションや当時のSCEに困らされたことはいっぱいあるよってこと、けど今回はお祝いだからあえてそういったことは書かないよってことですよ)
肝はここだな
CC2はDSとSwitch以外では任天堂との関わり薄いからSCEへの不満の方が多い
PS1は90年代の若者文化に上手く溶け込んでたよな
お洒落だったかどうかまではわからんけどそういう意味では市場が大きく広がったのは間違いない
今やってることはその90年代の残滓みたいなもんだからそりゃまあひどいもんだけど
>>12
>オシャレでしたよね、プレイステーション。
オシャレ「でした」よね、プレイステーション。
こいつ、ホント言い訳ばっかだな
結局、①②③を今もひきずってるの端からみても丸分かりなのに
事実初代PSは大量のライトユーザーに支えられた
今回はソニーヨイショの回
全ての和サードは大好きなPSに戻ったほうが全ゲーマーに対して誠実かもね
SIEとは仲が悪いみたいですけど
PS4に都合の悪い中学生の所有ハードをさらしたりしてたし
ビジネスとは別だしね
嫌いだから出さなくてもやってけるほどの余裕もないだろうし
>>34
CC2はむしろPSに傾倒しなくなったのが昨今
PS2:ナルト、.hackでPS2オンリー
PS3:ナルスト、ジョジョはPS3オンリー、PS3/360でアズラスラース
PS4:ナルスト4でPS4オンリー
↓
現在:Switchにナルスト1~3と4(2020年春発売)を移植
復讐三部作などPS4/XboxOne/Switchのスーパーマルチ路線発表へ
ドラゴンボールカカロットもPS4/XboxOne/Steam
DSも相当酷かったけどPS1のカオスっぷりには敵わない
当時のソニーは他業種のメーカーにもゲーム作らないかって声かけてたしセガにそんな事できたかねぇ?
セガはキッカケ自体を作れないと思う
本とソニー様々だろうね
そのポジションはスプラトゥーンに回収されてしまった
若いクリエイターを支援してたのは当時だからな。
それもみんな25年経ってアラフィフばかりだもんな。
「ゲームやろうぜ!」はすごかったな。
開発用機材とLWがついてきてかなり安かった。
あれ、当時のソニーは相当赤字だったはず。
あの後、任天堂も同じようにインディ向けの安い開発キットを出したけど、先駆けはソニーだった。
まあ元々の事業戦略が独自規格でシェアぶんどって後から回収のスタイルだし
スタートが目指せ100万台で大小問わずサード誘致に全力だった
鉄拳原田
CC2松山
SEGA名越
コジヒデ監督
スクエニ野村
PS教が徹底してるクリエイター
原田は前世代から箱とマルチ路線だからそんなイメージないな
>>57
どいつも30万の壁を越えられない雑魚やん
野村は何をしているんだ
あの頃は良かったとでもいいたいのかよこいつは
酒樽もって原田のとこ行ってたとか話あったよな
コメント
SCE(現SIE)⁇
ソニーの犬にはダサいポーズで写真撮る決まりでもあるんか?
実際のところ初代PSのサードの積極的な誘致やポップな宣伝のしかたは秀逸だったと思う。
ゲーム業界自体がまだまだ若かった中でSMEの営業手法は一歩先を行ってたんだろうなと。
その後、調子に乗った久夛良木が手柄を独占するためにSMEとの繋がりを一方的に切ってPS3とPSPが惨敗することになるわけだけど。
SME「せや!ポケモンでつながりのある任天堂に行ったろ!」
>2: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:AXlKSgG70
>【プレイステーションが起こした3大革命】
>①大容量&メディア革命
>プレイステーションはCD-ROMでいきなり大容量!しかも(CDですから)原価が安い。
PCE-CD/メガCD「お、おう・・・・」
この人ってPCエンジンやメガドライブを知らずに育ったのかな?
まあ確かに、あの頃は良かった(今は違う)的な文章にも見えなくはないな
>頭おかしい人向けにブログ書いてるわけじゃないだろうに
KPDは頭がおかしくなかった…?
PSと一緒に消え去ればいいと思う。
それよりジョジョ満点伝説について雄弁に語ってもらいたいです。
こういう悪しきPS病クリエイターもろとも、PSを市場から葬り去りましょう
それが成された時、日本市場は再生される
大復活する
任天堂はサードの囲い込みを2013年頃からやめてますってどこかで見たなw
それ考えればサードがお金くれるソニーにいつまでも付いていくもしくはクリエイターがソニー褒めちぎるのも当然といえば当然か。
もっともそのサードが昔と比べ物にならないくらい衰退してるんだけどねw
まぁあの頃はよかったって言うならわかるよ
たしかにプレステ1は上辺だけじゃなく盛り上がってた感じあるからね
2で絞り切って、3→4で見るも無残なじょうたいになったが