『メタルギア』『ZOE』の開発者がレトロゲームエンジン「Pyxel」を作った理由
https://levtech.jp/media/article/focus/detail_573/
優れた道具に囲まれた世代・制約と歩んだ世代
――早速ですが、なぜPyxelをつくったのかを教えてください。
北尾:自分を技術者として育ててくれた80~90年代のゲーム開発環境を、現代に蘇らせたいというのが理由です。
というのも、今の時代にプログラミングやゲーム開発に興味を持つ子どもたちは、ある意味で「恵まれていない」と感じているからです。
中略
技術や開発手法の進歩により、コンピュータやその中で動くOSなどの基本となるソフトウェアの仕組みについて知らなくてもゲーム開発を始められる現代では、技術をゼロから学ぶきっかけに出会いづらくなったのではないかと考えています。
中略
―北尾さんの世代は、現代の環境とどう異なるのでしょうか?
北尾:当時は誰もが、今とは比べ物にならないほどの「制約」に身を置いていました。
中略
このように、強い制約があったからこそ、コンピュータの仕組みを深く理解する必要があったのが、当時の技術者の特徴でした。そして、技術が進化して制約が減っていく中でも、各時代において自分なりに必死に取り組んでいるうちに、新しいプログラミング手法や3Dグラフィックスの基本原理、GPUの仕組みなどを体得していけたのです。
制約は“学びの入り口”でも“推進剤”でもある
――Pyxelではどうやって、どのようにしてホビーパソコンの時代を再現していますか?
北尾:徹底して「制約」を意識しています。
我々世代のデジタル環境の最大の特徴は、技術的な制約が多かったことです。あらゆる作業にコーディングが必要で、メモリや処理速度も十分とはいえず、できることが少なかった。
中略
このように、ツールや表現の幅をあえて制限することで、初心者が何をするべきか迷わずに済み、学習のハードルを下げる効果も期待しています。
―「初心者にのみ向けられた制約」が、なぜ重要といえるのでしょうか?
北尾:そこにこそ、エンジニアリングの原点があるからです。
私は、「工夫次第で、実はより高度なゲームをつくれる」という仕組みが、さらなる学びを生むと考えています。「制約を乗り越えてみたい」というモチベーションが、プログラミング学習を加速させるはずだと。
ハード性能が全体的に未熟だった当時は、パソコン少年だけでなく、商業ゲームメーカーという「手練れ」側も、同じ制約の中で創意工夫を求められていました。どんなに最新の作品でも、ハードの機能を最大限に活用し、8bitや16bitのドット描写を駆使してつくられていたのです。それらは、利用する技術としては、私たちが家で自作していたゲームとそう遠くはなかった。
だから、あの頃のゲームは「がんばれば自分でも再現できるかもしれない。自分もつくってみたい」と思うことができました。もし今のように、高度な技術と大規模開発でつくられた大作3Dゲームが相手だったら、再現を試みる前に諦めていたかもしれません。
『グラディウス』『スーパーマリオブラザーズ』といった名作に出会うたびに「スペックの制約のなかで、なぜあのゲームはあんなことができるんだろう」と頭を悩ませていました。限られた色数でグラデーションを表現する技法など、商業ゲームの中に散りばめられた技術的な工夫を推測し、自分なりに再現しようと試行錯誤を重ねたものでした。
この「制約を乗り越えようとする」過程こそが、私のエンジニアリングの原点だったのです。
コジカン理論だとそういう制約は「ハシゴから転げ落ちた落伍者」ということになるからw
メタルギアは制約から生まれたゲームだぞ
昔のゲームはなんだってそう言えるだろ
メタルギアソリッドシリーズはハードの度に進化してそのどれもが評価高いの知らんの?
産まれたゲームって言っただけじゃん
進化(ムービー)ww
だんだんムービーが長くなり笑ってしまうね
MGSV知らんの?
ムービーは最低限だったろ
やったことないのに批判してるんやなぁ
4は酷かったから、その印象が残ってても仕方ないかな…
最新iPhoneでしか動かないゲームと格安Androidでも動くゲームじゃどっちが売れるかって事
マジでそれ
制約があるからこそ学びを得られるとか技術を開花させられるみたいな高度な哲学をこの際全部無視したとしても
単純に今一番稼げるのが一番制約の多い場所(スマホ・携帯機)というだけでもそれに本気で取り組む理由になる
高学歴で高収入な商売に憧れただけで
ゲーム作りたいとか思ってないでしょ
ゲームの公演にゲーム機持ってない子だらけだったじゃん
PS5に出しても制約がないからグラフィックだけのクソゲーにしかならん
無駄に負荷が大きいほど給料増えるから全員そっちに流れてどこかで見たことあるようなクソゲーばかりが出来る
岩と違ってゲーム部分に1ミリも関わらない要素だから末期どころか死後だな
キッズ「ゲーム開発者になるぞー」
キッズ「UEとUnityが使えれば余裕っしょ、デザインも齧っとこ」
キッズ「SQEXに就職できた!えっ?仕事はこの草のアセットをうえるだけ?」
キッズ「SQEXなんて辞めてSIEに転職したぞ!えっ?美人をブスにする作業をしろ?」
キッズ「SIEに三行半叩きつけてバンナムにきたぞ!えっ?他のゲームが売れなくなるから面白いゲームを作るな?」
地獄かな
カプコン「グラを作るのダルいから実写を取り込みだぞ!」
これはこれで技術的な工夫じゃないんだよなぁ、フォトリアルに拘るから問題が発生しただけ、もはやクリエイティブですら無い、技術的な制約がないのに手を抜くのだけ上手くなった感じ
映像として、リヴァイアサンオニギリを作る事にやり甲斐を感じるのと
ゲーム制作としてリヴァイアサンオニギリを作る事に意義を求めるのは別の話だわな
それが世間の評価だよ
プレステのスペックがカタログすぎてリアルタイムレンダリングもできず、果肉の策でプリレンダぶっ込んでたのはPS1からずっとだしなぁ(SSでは動いてるものでもムービーに差し替えてとか)
シューターゲームを作りたかったけど
多くの敵を同時に表示できないからステルスをゲームの核にした
3でわざわざカットシーンだけのクソ長いムービーDVDを付けた自称監督さぁ(笑)
コメント
実際には何かできるようになるキッズはごくわずか…。
仕事レベルになる子はほぼいない
昔カメラマンの先輩から、「撮影技術を上達させたいなら、デジカメではなくフィルムを使ったアナログカメラで撮れ」と言われたことがある。
機械式のカメラならその構造が理解しやすいし、フィルムだとすぐに仕上がりがわからないから、1枚1枚集中して撮るようになる、という。
でもその先輩は、「アナログカメラを極めろ」とまでは言わなかった。
あくまで基礎を学ぶ手段としてアナログカメラに触れろという意味であって、「写真は撮ってなんぼ。何千何万枚も撮ることが大事。だからフィルム代のかかるアナログカメラではなくデジカメで撮れ」ということだった。
今の時代、写真を撮って出しで出すことはマレで、必ず補正作業がある。
デジタルデータなら補正も簡単にできる。
要するに、「基本は大事だけど、それにこだわっていてもなんの意味もない。仕事にするなら必要なのは結果。最終納品版をどれだけ作れるかにこだわれ」という話なのだ。
その経験から言わせてもらうと、この人は過去の黄金時代から抜け出せてないんだなってこと。
広い部屋与えても整理整頓ができないから使えるスペースが少ない
そんでもっと広い部屋よこせと喚いてる感じ
まず何か始めて で どうして 最終的に 何に成らせるかの・・・道順かな
最初から制限ガチガチなのはどうかと
(かつて、PC6001上(BASIC+マシン語)でゲームもどき1つ作るのに悪戦苦闘してた頃 思い出しながら)
果肉?の策???
果肉????
なんかの隠語みたい
貧困は心のエネルギーになると強いけど折れる可能性も上がる
俺は貧乏家庭だったのでハングリー精神からゲームが上手になって今では多数のゲームで世界記録も出せるようになったが
若い世代でお金持ちの家に生まれた優秀な子も何人か知り合いにいるし結局本人次第よ
貧困も程度によるからなぁ。学問に専念できるが遊ぶ金がないレベルなら本人の資質次第で大成するけど、今日食うのに困るようなレベルだと本人の資質問わず貧困の再生産にしかならない。ここで話すような話題でも無いけど。
お前らが作りたいのは「面白いゲーム」じゃなくて「凄いグラフィック」だろというゲームが多い
PS5に出す事を否定する所まではいかん
ただPS5での最高クオリティを常に要求するのが間違ってる
PS5でもスペックを抑えたゲーム作りは出来るはずなのに
作るのは『足りない足りない』と言い続け3部作
(本当に3で終わるかどうかすら曖昧)になってしまったFF7R
これで『PS5には面白いゲームがある』と言えなくなってしまったのが
勿体無いわ 当然SIEがクオリティ至上主義であり
SIEの命令でゲーム作りするからこうなるんだろうけどさ。
MGS4があまりにも酷すぎただけでMGSVもゼノブレ3より長いムービーまみれだったけどな
実プレイ時間に対してのムービー割合にしてもMGSVのがプレイ時間が短くムービーはより長い
カプコン「実写取り込みいいね!デザイン考えるのだるいから既存デザイン丸パクリしたろ!」
立派な工夫だよ
というか手を抜けるところは、徹底して抜いていい
それをしないのただのこだわりという名の道楽か、さもなきゃ要領悪いだけだ
あ?手を抜いて粗が目立つ?
それも要領悪いだけ
ドット絵打ってた頃の方がグラフィッカーは楽しかっただろうな、大変だろうけど
制約があるからいいって話でもないでしょ。
ハードとか性能とか関係なくて、制約がないのをいいことに好き勝手
容量ポリゴン数つかって、結果的に処理落ちまでするようなのは技術じゃないよって話で。
そこをどうやって軽く収めるかっていう工夫が技術だってこと。
開発費と納期の制約は置いてきたらしい
身内がそれから一番かけ離れているという冗談みたいな話
制約があると工夫しようって脳を使ってコンピュータの原理原則からどうにかしようと思う思考が働くようになってそこがベースになるんでしょ
最初からボタン一つで飯が出てくるようになったら、料理の科学とか調味料とか生まれんぜ、感覚で塩とか砂糖いれるようになる、素人は匙加減がわからないパターン
1Lのジュース(アイデア)を500mLの容器に詰めるには濃縮するって工夫が必要になり、結果味も濃くなる
1Lのジュースを2Lの容器に詰めるには水増ししてかさを増やさなければならず、結果パッケージは立派に見えるが薄味になる
そういう事だろ