1: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
ライバルには時のオカリナ、スーパーマリオ64、スマブラ、どうぶつの森といった強力なソフトが有ったのに
3: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
PCエンジンがCDロムの下地を作ってPSで爆発した感じ
PCエンジンはNECだけど地味にPSの隆盛に貢献したと思うな
PCエンジンはNECだけど地味にPSの隆盛に貢献したと思うな
12: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
発売か遅かったのは痛手だよね
前世代のスーファミの登場がそもそも遅かった、出す出す詐欺で他機種牽制なんかもしていた記憶
>>3
けど、猿人はみんなサターンに行ってしまった
4: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
まずどうぶつの森は携帯機になってから真価発揮したので
据置機が役不足だった
据置機が役不足だった
60: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
>>4
でもどうぶつの森はカードリーダー使ってやるGC版が一番面白かったがな
って64にあったっけ?あれ?
でもどうぶつの森はカードリーダー使ってやるGC版が一番面白かったがな
って64にあったっけ?あれ?
5: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
見事なほどのステマ
メーカーや小売に対する甘い言葉
メーカーや小売に対する甘い言葉
6: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
スーファミの続きだと思わせたに過ぎない
PS1での既存シリーズ一作目で意欲作出したあと
もう陰りをみせたパターンばかりだろ
PS1での既存シリーズ一作目で意欲作出したあと
もう陰りをみせたパターンばかりだろ
7: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
マリオ64はロンチだけど他は登場遅いからな
勝負が決まった後に出ても時すでに遅し
勝負が決まった後に出ても時すでに遅し
9: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
WiiUみたいなもん
とにかくソフトが出なかった
とにかくソフトが出なかった
10: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
日本人のためのゲームの未来を作らない会社が嫌われて
インディーが売れることになってるだけだよ
PS1が勝てた時代のゲームがどうだったかを見つめなおせないのが悪いんだよね
インディーが売れることになってるだけだよ
PS1が勝てた時代のゲームがどうだったかを見つめなおせないのが悪いんだよね
11: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
ソフトの豊富なバリエーションが何よりも重要だということかな
Switchがインディーゲームを味方に付けて大成功したように
Switchがインディーゲームを味方に付けて大成功したように
13: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
N64の発売が遅い
ソフトの発売本数が少ない
以上2点が大体かと
ソフトの発売本数が少ない
以上2点が大体かと
14: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
スペック大幅上昇で3Dゲームが世に出た割と最初
2大RPGと言われたFFが移籍、バイオも登場
初代やPS2は値下げ値下げでPS5からは想像できないくらいハードもお手頃価格だった
これからはPSの流れを上手く作れた
2大RPGと言われたFFが移籍、バイオも登場
初代やPS2は値下げ値下げでPS5からは想像できないくらいハードもお手頃価格だった
これからはPSの流れを上手く作れた
15: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
過去より今を見つめろよ
16: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
SNKが大したノウハウもないのに3Dゲーム用筐体作り出すくらい、空前の3Dゲームブーム
FFやサガも3D
バイオや電車でGOのような新しいスタイルのゲーム
低予算インディーゲーム
全てがPS1に集まった
FFやサガも3D
バイオや電車でGOのような新しいスタイルのゲーム
低予算インディーゲーム
全てがPS1に集まった
17: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
オレは先にPCエンジンユーザーだったから、
PSにはあまり衝撃を感じなかったんだけど、
PCエンジンという過程を経ていない一般層はPSに衝撃を受けたと思う
PSにはあまり衝撃を感じなかったんだけど、
PCエンジンという過程を経ていない一般層はPSに衝撃を受けたと思う
24: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
>>17
だよな
我々猿人としてはサターンに期待していたよ
だよな
我々猿人としてはサターンに期待していたよ
19: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
バチバチにやりあってるイメージだけど
PS 1994年末
64 1996年6月 一年半も差があってスタートダッシュした分ソフト豊富だったというのが大きい
PS 1994年末
64 1996年6月 一年半も差があってスタートダッシュした分ソフト豊富だったというのが大きい
20: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
N64(任天堂)
リリース 1996年
世界売上台数 3293万台
GC(任天堂)
リリース 2001年
世界売上台数 2174万台
PS1(ソニー)
リリース 1994年
世界売上台数 1億240万台
PS2(ソニー)
リリース 2000年
世界売上台数 1億5,500万台
PS1>>>>>N64
PS2>>>>>GC
21: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
FCとSFCの成功を見たソニーの打ち立てた戦略は「サードが勝手に集まってくる」を演出することだった
サードがソフトをリリースするようにブロック権も行使したし、勝手に集まってる感を出すためにステマもしたし、芸能人にもバラ撒いた
サードがソフトをリリースするようにブロック権も行使したし、勝手に集まってる感を出すためにステマもしたし、芸能人にもバラ撒いた
139: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
>>21
あとは徹底的に悪の任天堂をメディアと協力して一般層に植え付けさせてたね
子供のゲームを高額で売ってた横暴な任天堂をソニーが倒した
当時は子供だったから信じていたけどPS2あたりからのクタや佐伯の発言見てこいつらも売れたらこうなるのかってガッカリした
そしてその後を見て本当にあの頃もソニーはステマやりまくってたんだなって理解した
あとは徹底的に悪の任天堂をメディアと協力して一般層に植え付けさせてたね
子供のゲームを高額で売ってた横暴な任天堂をソニーが倒した
当時は子供だったから信じていたけどPS2あたりからのクタや佐伯の発言見てこいつらも売れたらこうなるのかってガッカリした
そしてその後を見て本当にあの頃もソニーはステマやりまくってたんだなって理解した
22: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
ゲーム機の何倍も高性能なマシンで作成したムービーが、価格を超越したビジュアルでインパクトがあった。
FF7発売時のハード価格は、FF7とメモリーカードも定価で購入したとして、
3万円ちょっとで買えたのも大きな要因。
FF7発売時のハード価格は、FF7とメモリーカードも定価で購入したとして、
3万円ちょっとで買えたのも大きな要因。
23: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
今じゃ若者に「プレステって何?」と言われる時代だからな
30年は長いんだ
30年は長いんだ
25: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
ヒゲが64批判して出禁になった
一番大きいのはカードリッジより円盤の方が安かったから
一番大きいのはカードリッジより円盤の方が安かったから
28: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
まぁでも後から振り返るとやっぱりGBやWii DSに
辛酸舐めさせられていつも負けてるなとは思うけどね
SONYはPS1やPSPなど最初の勢いだけは良い
PS2 PS3 Vitaなどクソハードの極み
つくづくこの業界はSONY中心で回ってるつまらない業界
辛酸舐めさせられていつも負けてるなとは思うけどね
SONYはPS1やPSPなど最初の勢いだけは良い
PS2 PS3 Vitaなどクソハードの極み
つくづくこの業界はSONY中心で回ってるつまらない業界
29: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
64当時のキッズからすると64が負けなんて認識全くなかったな
毎日毎日友達5~6人集まってスマブラとかマリカとかしてた
自分で買わなくても遊べるから本体台数は少なかったけど、
知名度やら印象やらの宣伝効果はかなりあったよ
毎日毎日友達5~6人集まってスマブラとかマリカとかしてた
自分で買わなくても遊べるから本体台数は少なかったけど、
知名度やら印象やらの宣伝効果はかなりあったよ
30: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
PS2は名ハードじゃないよ
まず本体はDVD特需で売れていただけ
遊ばれるゲームはドラクエFFなどスクエニのポピュラータイトルばかり
極めつけはPS1時代に育んだIPの続編タイトルが軒並み壊滅的だったこと
ただゲームキューブに勝っていたことは認めざるを得ないけど
SONYでちゃんとしてるハードはPS1とPSPくらいだな
俺はモンハン刺さらなかったからPSPですら大したこと無いと見てるけど
31: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
ソフトが10000円越え当たり前だった時代に5800円
当時、最先端だったナムコの3Dゲーム
スクエアの参戦
任天堂を食ってやろうとしてたSCEの勢い
ただ、マリオとゼルダ、007をやったあと
PSのゲームの9割は似非3Dだと思い知らされた
33: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
ただ任天堂は負けハードのときに化け物新IP出すからな
34: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
アーケードゲームが移植可能であるかどうか
これ当時はとても重要な要素だった
これ当時はとても重要な要素だった
142: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
>>34
N64のゲーセン基板もなかったわけじゃないが
それの有名作がディズニーのテトリス(カプコン製)とスーパーリアル麻雀だしね
N64のゲーセン基板もなかったわけじゃないが
それの有名作がディズニーのテトリス(カプコン製)とスーパーリアル麻雀だしね
35: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
サードをうまく味方につけたよね
ユーザー向けもsmeが頑張ってた
どちらも今のソニーにはないの後悲しいところ
ユーザー向けもsmeが頑張ってた
どちらも今のソニーにはないの後悲しいところ
36: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
あと現代のキッズにはこうも言われている
電車やバスでの移動中に携帯用ゲーム機でおじさん達は遊んでるの?
ダサ!
すげーみっともない!
そんなのスマホでゲームするものだよ!
37: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
うちソニ
39: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
ムービーに騙されていた時代だな
40: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
プレステファンも大好きなホロライブも最近FCマリオのクリア耐久とかやってるじゃん?
ああいうのプレステソフトでは全然起こらないよね
なんで?
ああいうのプレステソフトでは全然起こらないよね
なんで?
46: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
スーファミで人気シリーズだったタイトルの最新作が遊べる
47: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。
PS1の頃のソニーであればまだ救いはあったけどなぁ
今のソニーは札束ビンタ以外何もできない
今のソニーは札束ビンタ以外何もできない
コメント
ステマでサードを広告扇動するのがウマくいっただけ
小売、問屋、メーカーはキツかった。特に最初はクチだけで返品okしときながら、次第に返品NGにしていったSCEはギルティ
契約でハメこむんやな、とよく分かる
スーファミでもやった新機種出す出す詐欺を繰り返しているうちに、任天堂憎しのナムコに下駄を履かされた。
PSの開発環境すらナムコが勝手に作ったとかいう話すらあった。
バーチャファイター効果でサターンに後れを取ったが(実は100万台実売まではサターンの方が優勢だった)、スクウェアの出来レースFF7でトドメを刺された。
基本的には任天堂の自滅やね。流石に1年半も遅れたらどうしろと。
この時に手なずけたスクエニやバンナムは今もソニー恩義してるわけねw
任天堂憎しを上手く焚き付けた結果だろうけどこうゆうのだけはソニーは凄い上手いよねw
これが一見成功している様に見えたのはPS2まで。
SIEの『画質・スペック至上主義』によって殆どのインディー的な
ゲームが排除され、挑戦的なタイトルがほぼ死滅した。
大手サードも『画質を少しでも良くしなきゃ』と言う強迫観念により
ゲームとしての面白さが無くなり結果『綺麗なだけのゲーム』が乱立。
PS1あたりの勝利の方程式は全て任天堂が取り戻した形となった。
こうなってしまうといかにサードを囲い込んでもSIEは勝てない。
だってサードが全部腐った死体みたいになってるんだもん。
腐った死体を並べて勝負の舞台に上がれると思ってるのが間違いでしょ。
ROMからCD主流になった事でソフト媒体の価格破壊が起きてたのに後から発売した64がROM継続だったからな
サード視点からすれば記憶媒体の価格差に加えて既に普及してるSSやPSより後からスタートの64、更に開発が難しいハードだったと悪条件が多い
とはいえアメリカでは結構売れてたので言う程負けてたわけでもない
FCやって育った世代が厨二病患うタイミングだった
FCやなくSFCじゃね?
俺はFC世代だがPS出た時は社会人だったし
スーファミに飽きてたところにff7がドーンときたので
見事に踊らされたユーザーです
でも楽しく踊れたので不満は少なかった
しかしPS1PS2はまだよかったが3は買わなかったわ、4も5も
つまらなさが顕著だったから
今度はDS、3DSの携帯機に鞍替えで
任天堂のゲーム回帰戦略に乗せられて踊ってるよ
ゲームハード遍歴が殆ど自分と一緒で笑うわ
ps1の頃は目新しさとか中高生に刺さる作品が多かったから良かったがそれ以降はね
ファーストの国内パッケージミリオン本数はSFCと64で10本で同じだから任天堂としては
同じだけ努力したしちゃんとソフトヒットさせてるんよね
あとPS1のファースト国内パッケージのミリオン本数は12本だから実は思ったより差は無かったりする結局の所サードの差ってのが両者の勢いの差
ただまあSFCサードでミリオン超えてたのがエニックス、カプコン、スクエア、バンダイ(バンプレスト)、アスキーでこいつらほとんどPS1ミリオン勢って事でまあ色々邪推はするよな
スーファミに参入してたメーカーをドサ回りして初回生産盤のソニー買い上げの公約、再生産は50本ロットからやら、とにかく任天堂と比較した例を一緒に提示して好条件で集めたから
結構今のプレステファンが嫌うことは大体やってた
1996年6月23日 スーパーマリオ64 ローンチタイトル
1996年6月23日 パイロットウイングス64 ローンチタイトル
1996年6月23日 最強羽生将棋 ローンチタイトル
1996年9月27日 ウェーブレース64
1996年11月22日 ワンダープロジェクトJ2
1996年11月29日 栄光のセントアンドリュース
1996年12月14日 マリオカート64
1996年12月20日 実況Jリーグ パーフェクトストライカー
1996年12月20日 超空間ナイター プロ野球キング
1996年12月20日 麻雀MASTER
今考えても発売年でこのラインナップは渋すぎるわ
そもそもSFCの遺産が強くて乗り換える必要性が薄かったし
ソフトの価格なんかも含め当時は負けるべくして負けたと思ってる
当時「任天堂の作ったメガドライブ」と揶揄されてたからな
いま思うとそれはそれで個性的だと思うが
あの当時はCD-ROMはカセットより安くできるあったしなあ
そんなのが後押ししただけ
Wii U然り任天堂は失敗を受け入れてそこから成長するから偉いわPSシリーズは過去の栄光に縋って落ちてくだけやから
というよりも、PSは初代と2以降で商売戦略を大きく変えてしまったのが不味い
ライト層を取り入れた事で初代が成功したのに、ライト層を切り捨て始めた事で2以降は段々先細りになっていったのだから(3はハード側の失敗も大きいけど)
任天堂は調子が良くない時でもライト層への訴求を常に行ってきたし、GC以前とWii以降で戦術を変えているけど、ライト層を取り入れるのがどれだけ難しいかも心得ているんだよね
ライト層を取り入れないハードなんて、結局一部のコアゲーマーしかやらないハードになるだけで、何のプラスにもならないからね
いや結局PS1と2にいたのはライト層じゃなくてSFCの層だったのよ
だから3で一気に卒業した
本当に掴んでいたのはGB
凄い()ゲームをだせば一般人も付いてくるという思い込みが致命傷になったな
CDでサードの利益率が劇的に上がったんだよ
マスクロムは滅茶苦茶高いし前金で用意しなきゃならん上、再販も難しい
だから国内じゃサターンにも負けた
64のソフト数はメガドラの半分なんだぜそりゃ勝てんよ
サードが儲けれるインフラ用意してないんだもん
ハードは値下げ連打
ソフトはSFCの半額
2Dから3Dへの進化
CD採用による大容量化
そして極め付けのソニーマネーによるサード独占
PSが成功したのは時代の変化と戦略によるものが大きい
逆にこの頃に生まれたコンテンツを全て放り出した結果、今の大爆死があるとも言える
任天堂みたいな顧客視点の商品開発もMSみたいな世界戦略もグループ企業からすら切り離した結果ですかねぇ
格安CD再生機だったからだなおまけでゲームもできる
色々な理由はあるだろうがCDを利用した事により安かったのが大きいと思う
ソニーがサードをかき集めたのもあるだろうが、ソフトメーカーにかかる負担が少ないから色んなメーカーが集まったしゲームの値段も安いからユーザーも集まった
まぁ、ソフト価格だよなぁ
SFCや64が1万前後が基本だった横で5千円切るPS1は強かった
それ、実際には「定価のみ」を比べたデマで、SFCや64のソフトは小売側が「3割程度の値引き」が当たり前だったから、定価は1万円前後でも割引とかで6~7000円くらいで買える事も多かった
それでちゃんと、小売り側もメーカー側も利益が出ていたんだよね
だけど、PSのソフトは本当は輸送費とか含めると定価はもっと高いはずなんだけど、5800円での販売を強要した上に、売れる見込みもないソフトも過剰に出荷して小売側に販売を押し付けたものだから、小売り側が悲鳴を上げて、メーカー側も最終的に商売が成り立たなくなって、両者ともに破滅した感じだな
結局、商売の事を何も分かっていないソニーとサードが原因でその目論見も崩れたんだよなぁ
PSソフトは値引きないし
5800円6800円7800円8800円と値上がりしていくしで
当時世代としては安いイメージは初めだけとしか…
それに64だって値段が高いのは96年だけで、97年からは6800円が多くなっていった
振動パック対応バージョンでマリオ64を出し直したけど、これは実質6800円への価格改定
この頃には値段が逆転してることも既に多かった
そもそも64が出る頃にはもう既にPSがそこそこ普及してたよ
1年半も64が後発だったことが何故か無視されがちなんだよね…
単純に、同世代(第三世代機)で一番早く次世代機が出た事と、CD-ROMの採用でソフトの容量が大きくなって、更に3D表示に強い事が強調されていた事
ハード本体の価格も安かった事、ソフトが5800円に抑えられていた事(これにはからくりがあるが)
当時はサードのソフトにも人気作が多くて、サードを集める事が出来た事で、PSにそれらのファン層が集まった事、レース、ゴルフ、カジュアルゲーム等、子供のみならず幅広い層に訴求できた事等が理由だな
最初はサターンだよ
PCエンジンです
あれ?3DOとかじゃない?
まぁ世代の区分けの基準なんて人によって違うんだろうけども
相変わらず脳内キッズの解像度低いな
日頃任天堂のゲームはガキゲーって言っておきながら矛盾する脳内会話
それに本当にそんな状況ならPSポータル出したの馬鹿みたいじゃん(まあ外出使用は現実的には色々厳しいが)
しかもPS4のゲームが動くPSP3がどうのという話でも盛り上がってるっていうね
今更時代遅れのPS4のゲームで遊ぶん?
もう居酒屋で誰にでも絡む過去の栄光語るジジイで草
老害は消えてどうぞ
当時は光学メディアによるムービーが有難られてた時代だからな
今でこそなげーよだけど
この成功体験を今なお引きずってるのがスクウェア
それ抜きにしてもまぁまぁソフトのバリエーションあったし
サードにそっぽ向かれたからや
64のソフトなんて100ちょいしかないねん
そら勝てるわけないじゃん
ナチュラルに嘘をつくのはK国人のお家芸だな(呆)
「あの頃は良かった」をやってる辺り
もはやCS事業に関してはファンボーイも諦めてるみたいね
モンハンがPSPからDSに取られたの本数相当痛そう新作出せば確実に売れるからな
・ソフト価格の低下
・3D方向に強いという新時代の幕開け
・CDプレイヤーもついてきた
・まだFFにけん引力があった
等々、時代に恵まれた点もある
しかしそれに胡坐をかいて大人向けとか言っちゃってライトをだんだん切り捨てたのが敗因
売上台数的に64が負けハード扱いされてるけど、当時小学生の自分からしたら負けハードとは思わんかったな
友達の家に集まって、マリカー、ゴールデンアイ、スマブラ、マリパ、マリオテニスetcで遊びまくってたし
今思うと初代PSでパーティプレイにハマったゲームってなんかあったかな?
(モー娘。が出てる天空のレストランって初代PSやっけ?)
友達の家ってのがミソ
当時、本当にサターンとかと同枠だった
俺も両方とも人んちでしかやってないもん
天空のレストランは中古でたまに見かける事があったがモー娘。なんて出てたっけ?と思ったら、ハロー!プロジェクトver.っていう特別仕様があるのね
通常版の発売日が2000年だからPS2発売後に出たPS1ソフトだね
ちょうどゲーマー世代交代の時期だからね
PSはSFCから客を奪っていったけど
その後の世代には関係ないからな
ファイナルファンタジー7が凄い人気だった
・CD-ROMの大容量を生かしたムービーと音声
・ぐりぐり動く3D
この辺がSFCしか知らない人には目新しかった。
PCエンジンはアニメ絵というイメージがあってオタクのものと思われてたんじゃなかろうか。
Mac/Winからの移植もあったりして、オタクイメージがちょっと小さかったのかも。
移植はあったけど売れてたかどうかは別だけども(Mystとか)
当時小学生だったけど、親が64は子供向けって言って中々遊んでくれなかったわ
GCにも言えるけど、まずコントローラーの持ち方や使うボタンの説明から必要だった。
あとは、PSの方がパズル系や音ゲもあったし、流行りのタイトルが多かった
友達と遊ぶのは断然64だったけど金持ってるのは大人
ちょうど氷河期世代が高校や社会人になってバイトや就職で働ける時に消費税増税で景気が悪化した時代だからな。
SFCの1万円以上からほぼ半額のPSソフトの値段だからそっちに流れた。