来月発売される「ファイナルファンタジー7 リバース」に先駆けて、原作である「ファイナルファンタジー7」に携わったチームの一部がインタビューに応じた。
そのインタビューでは、オリジナルのディレクター兼脚本家である北瀬佳範氏が、原作の「社会的課題、社会問題、文化的描写」の表現のされ方について恥ずかしく思っていると主張している。
現在ファイナルファンタジー7リメイクとリバースのプロデューサーを務める北瀬佳範氏は、野村哲也氏(原作ゲームのキャラクターデザイナー兼ビジュアルディレクター)らと共に、Game Informerのインタビューに応じた。
そーす:https://nichegamer.com/final-fantasy-vii-director-embarassed-original-themes/
野村氏は、ファイナルファンタジー7が、ファイナルファンタジーの発展における2つの異なる方法の間に位置する、ある種の「中間点」であったことに言及する。
「ファイナルファンタジー7は、ファイナルファンタジーシリーズのナンバリングタイトルの中でも、中間地点に位置するタイトルだと考えることができます。ファイナルファンタジー6までは、シリーズ作品はひとつの決まったやり方で作られていましたが、8からは、まったく新しいアプローチで開発が行われたのです。一方、7はこれらの二つのタイトルの間に位置するものであり、混合的な要素があるタイトルでした。」
「6では、開発チームの各部門が独自に、あるいはただの気まぐれ的に、入れたいと思ったから入れたという要素が多く、一方の8では各要素はもっと計算され、戦略的に作られています。7はそのミックスであり、計算と気まぐれの両方があるというタイプの開発プロセスでした。
もし我々が原作の7を作っていた頃にやっていたようなやり方で今もゲームを作っていたら、大変なことになっていたでしょう。時代は本当に変わりました。時代が変わったと我々が言う時点は、7以降のことです。7はそういうやり方でゲーム開発ができた最後のタイトルなのです」
野村氏は、ときには完全にランダムな変更が行われることもあったと示唆した。
「脚本があるのですが、キャラクターが突然、脚本の中にすらない、我々が聞いたこともないようなことをゲームの中で話し始めるということがありました。ある開発の部門が、ただキャラクターがそう言っているシーンを含めたかっただけだというのです。当時はそういう世界でした」
その後、北瀬佳範監督は、ストーリーをより理解できるものにするために、もう一人の脚本家である野島一茂と緊密に協力した。
「各キャラクターやストーリーの中で彼らが話すことを考えるチームもありましたが、全体については野島さんが最終的なレビュアーでした。つまりストーリー全体を纏めるのです。このやり方は、全体に纏まりを持たせるためにその後のタイトルにも引き継がれました。でも、それ以外は”何でもあり”の世界だったのです」。
インタビューの後半で、開発者たちは原作ゲームのテーマについてさらに語り始め、記事のライターはそれらを「企業の強欲、環境保護、メンタルヘルス」だと主張した。以下は北瀬氏の発言である。
「ファイナルファンタジー7では、ライフストリームというコンセプトを通して、生命のサイクルなどの諸問題を描くことができました。現実の世界で経験するのとまったく同じように描いたとしても、かなり面白いということにはならないでしょう。
野島さんのアイデアによって、ファイナルファンタジー7の世界観の中で、ライフストリームと惑星を中心に据えつつこのテーマを描くことができた。そうすることで、FF7とそのテーマは、今もなお関連性をもち、時の試練にも耐えうるものになったと思います」
しかしながら北瀬氏は、フィクションであるにもかかわらず、FF7が「社会的課題、社会問題、文化的描写」をどのように取り扱ったのかについて、「恥ずかしく思う」と語っている。
「原作が社会的課題、社会問題、文化的描写をどのように表現したかを考えると、ある意味でですが、私は原作を少し恥ずかしく思っているのです。 その表現自体が、ある意味ではとても若くまたナイーブでした。
それは我々とっては学びですが、同時に、広く受け入れられた理由のひとつなのかもしれないとも思っています。完璧ではないし、その若くナイーブな描写の性質には、でこぼこでギザギザした部分があるのです。
もちろん、25年もの月日が経てば、個人的な学びや変化、成長もたくさんあります。でも、原作を振り返ってみると、そのうちのいくつかについては、ちょっと恥ずかしく感じるのです」
このような引用は、Game Informerが正しく翻訳したのか、それとも「ローカライズ」してしまったのか、一部の人を訝しく思わせるだろう。だがスクウェア・エニックスに「倫理部」があることを考えると、この引用には一部の人が考えるよりも真実性がありそうだ。
北瀬氏は具体的に何を恥ずかしがっているのか言及しなかったが、ポリティカル・コレクトネスな西欧人を不快にさせる多くの事柄が、彼が話していることなのだと推測可能である。
原作ゲームには彼らを不快にさせる多くの要素がある(蜜蜂の館でのセックスの描かれ方、ティファのセックスアピール、バレットが「人種差別的ステレオタイプ」であること、シドの恋人に対する「不当な扱い」など)。
スクウェア・エニックスが「ファイナルファンタジー7リメイク」の蜜蜂の館を「ジェンダーフリーの視点から」、そして「現代のセンシビリティーを考慮して」作ったことを考えると、これはおそらく事実だろう。
「ファイナルファンタジー7リバース」は2024年2月29日にPS5で発売が予定されている。
—-翻訳終わり—-
若気の至りすぎて恥ずかしいんだろなー
まあそういうこと言い出すとゲームなんか作れなくなるんやが
館の描写とかは当時もわりと気を使ってたかなと思うよ
>>14
オリジナルでも爆発の勢いが強い件について「?」マーク飛ばしてたから
神羅のマッチポンプにつきあわされてはいたらしい。
それでも序盤バレットの行動は許されないんだけど
マッチポンプが伝わりにくかったぶんリメイクではそこがわかりやすくなってた
天野原画の幻想的雰囲に惑わされがちだが2の時点で片乳丸出しだからな
当時でも大の大人は似たような反応だったってだけだわ
昔を思い出して落ち込む事あるからなぁ
もう一度同じ人が作っても面白さがなくなったり
これじゃないってなるのはなんでもそうじゃないかな
漫画家とか小説家が10年前自分がかいたのみると恥ずかしいってなるらしいし
周りの時代の変化も勿論あるけど それだけじゃないというか
ホストが好き勝手やらかすというゲームに変えちゃった
北瀬は映画の演出とか勉強してて入って来てFF6のストーリーで幻獣とティファママが
子供作るシーンのシナリオを坂口が書いて渡してどういう演出にするか楽しみにしてたら
2人が空中をぐるぐるしたあとに光が生まれてティファが出来た演出が出来て笑ったって言ってた
そう言うの掘り起こされると恥ずかしいだろうなぁ
勝手な感想を吐きはじめた
なぜ分割→全然出来てないのに発表したから
そいで当時アニメ志向だったキャラデザを何故そのままリアルにしてしまったのか
北瀬ってたしか取締役だしな
こいつが倫理部の導入とかも支持してるんだろうな
特にFFってのは細かい粗を
吹き飛ばすような爆発力が作品を引っ張っていたものだけど
受け手作り手そろって猿マネを繰り返した結果
陳腐化してそれが中二病と呼ばれるものになった
昔は「勉強が足りなかった」
今は「学ぶ力を失った」
あとFF8以降がつまんないのも「各開発チームが勝手に入れ込むランダム性」が消えたからかもな
昔のゲームってなんとも言えない個性と多様性があったが、ああいうのって開発プロセス自体が反映されてたんだろう
今は全部計算づくで、倫理部だの品質管理だのが前さばきで「計算づく」で作るから、パッケージ化された商品らしさだけが強まっていく
なんだったんだ
お前らも続け
ああいうのは恥ずかしがる必要はないんだよ
コメント
ドットだったりローポリゴンには合ってたシナリオ脚本が、フォトリアルでは合わなくなってるって今更!なことを長々と言ってるだけなような
その自覚があってRなんか作ったの?
Rも十分恥ずかしんだけど
正直作り方変えた結果がファブラ ノヴァ クリスタリスだったり
パルスのファルシのルシがパージしてコクーンだったり
ユ・リ・パだったりする方がよっぽどキッツいんですがそれは
完全に同意する
本当にそう思うよ
今も恥ずかしい定期
また映像だけのゲームなんだろ
FF16を見てもFF7とやってること変わらないし、グラフィックを求めた結果遊びゴコロない分記憶にも残らない
作り方変えた結果、締め切りが守れなくなり厨二病臭さだけが増して、クソゲー乱立するようになったと・・・
結果を見たら映画の損失より多くの損失を出してるのじゃないか?
FFは世代を重ねるたびにひどくなっている。
恥ずかしい、恥ずかしくないなんて関係ない。
娯楽は楽しいか楽しくないか、普通かの3択。
北瀬の発言は的はずれだと思う。
数々のゲームで完全な管理の元にゲームを作るとつまらなくなることがはっきりわかってる
人間が論理だけで生きてないのと一緒で、多少は不完全で大味な部分を含んだゲームの方が面白い
管理されたゲームは、難解な数式と一緒で、特定の人しか楽しめない
そもそも、フィクションにすぎない世界を
美麗に、リアルに表現しようとしている
時点で陳腐なんだよ。
俺に言わせれば、
あくまで空想でしかないものを
まるで目の前に本当にあるかのように
描写するっていうのは
幼稚な現実逃避でしかない。
各チームが自分勝手に作った物のキメラなのは近年の方が酷いだろ
点と点を繋ぐ力それぞれを生かしながら纏める力が明らかに過去作に劣っている
こいつにもう面白い作品は作れないのかもな
そもそも人種差別的なキャラクターって個性なのに許されないの?
全員で賛美してたらアレだけど敵がいるのと同じように世界に存在するじゃん
年齢もあるだろうし、時代や環境があったわけなんだから
って思うけど、どん兵衛コラボとかやってること昔と対して変わらないじゃんね…
じゃあ今はそれを反省したと言えるだけの事してんのか?っつったら
そうは思えない事ばっかしてんだよな
でも最近も恥ずかしいタイトル出してるし時代考えたらFF7はいい方だろw
オリジナルの方がマシだったと思えるくらい今のノリの方がイタくて寒くて恥ずかしいんだよなぁ♪
FFってドットだったからまだチープに見えなかった話をリアルなグラフィックでもやってるから更にチープに見えるよね
脚本家が育ってないのかそう言う方針なのか知らんけども、海外みたいにバックグラウンドをしっかり作ってないのが透けて見えると言うかテイルズも似た感じ
FFのキャラに一貫性がなくて、シーンごとにブレまくるのは、最初の最初からそうだったよね