https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181107-00551508-shincho-ent
http://krsw.5ch.net/test/read.cgi/ghard/1541578427/
そりゃドラクエシリーズあんだけ売れてたら持ってるやろ
誰も損してないし
>現在の堀井氏の妻は、ゲーム業界出身の51歳。20年ほど前に知り合い、すでに妻がいた堀井氏と不倫関係になった。
ドラクエ7開発中
>>5年ほど交際したが、その後に弁護士を立てて関係を解消。その際には慰謝料として、堀井氏から数千万円の慰謝料が支払われたという。
ドラクエ8開発中
>その後時を経て、2016年に堀井氏は前妻と離婚。昨年、この女性と再婚するに至ったという経緯だ。
ドラクエ11開発中
あんな髪の毛でも不倫再婚できるんだな…
お金の力ってすごい
中川翔子の母親か?
「僕は正直誰のことも不幸にしたくないんですよ。
でもそういう意味ですごく優柔不断だったこともあって……。だから少なくとも今後の僕の人生では、自分にかかわった人は皆幸せにしてあげたいなっていう想いなんですね。
別れた嫁さんに10億円払ったのも、少しでも不幸になってもらいたくないと思ったからだし。そういう風に人を幸せにすることが、自分の幸せかなとも思うんです」
浮気しといて誰も不幸にしたくないとかアホか
その10億だって裁判なら妥当な額じゃねーかな、堀井にしちゃ安い位の印象
ほんとこれ
子供いるのか?いたら気の毒すぎるわ
当たり前じゃん漫画の原作者と同じ立場なんだから
「ドラゴンクエスト」といえば、キャラデザインを鳥山明、楽曲はすぎやまこういち、そしてシナリオを堀井雄二(64)の各氏が手がけていることでおなじみ。全世界で7600万本を売り上げている人気シリーズだ。
その“産みの親”である堀井氏が、糟糠の妻と離婚、そして新たな伴侶を得ていたことが明らかになった。
***
現在の堀井氏の妻は、ゲーム業界出身の51歳。20年ほど前に知り合い、すでに妻がいた堀井氏と不倫関係になった。
5年ほど交際したが、その後に弁護士を立てて関係を解消。その際には慰謝料として、堀井氏から数千万円の慰謝料が支払われたという。
その後時を経て、2016年に堀井氏は前妻と離婚。昨年、この女性と再婚するに至ったという経緯だ。
「だから、『20年間不倫』ということではないです。それで、お互い友達としてお付き合いしている期間が長くて、男女の関係もないまま仕事のパートナーとして付き合ってきています」
と語るのは堀井氏本人だ。現在の妻はゲームのテストプレイなどに携わり、09年に発売された「ドラクエIX」で“special thanks”としてクレジットされてもいる。
20年前に不倫相手だったという現在の妻、慰謝料10億円を支払って別れた前妻、そして堀井氏……。
代表を務める「アーマープロジェクト」の役員欄には、前妻とその間に生まれた子、そして妻の名などが記載されている。なんとも不思議な関係だが、
「僕は正直誰のことも不幸にしたくないんですよ。でもそういう意味ですごく優柔不断だったこともあって……。
だから少なくとも今後の僕の人生では、自分にかかわった人は皆幸せにしてあげたいなっていう想いなんですね。
別れた嫁さんに10億円払ったのも、少しでも不幸になってもらいたくないと思ったからだし。そういう風に人を幸せにすることが、自分の幸せかなとも思うんです」
11月8日発売の週刊新潮で、堀井氏本人、そして現在の妻の告白を掲載する。
「週刊新潮」2018年11月15日号 掲載
なろう主人公か
これゲスの極み乙女のボーカルが言ってたら面白いのに
やってることは同じよな?
慰謝料数千万円払って別れたはずの愛人と結婚って新手の脱税か?
本人と現在の妻のインタビュー載せるんだから自分から書いてくれって言ったんだろ
おそらく前の妻が悪いって話に持っていく
それで10億も持ってるって凄いな
堀井のジャッジがないと未だに進まないのがドラクエ。
ドラクエ11の映像みたけど堀井がマップをダメ出ししてるシーンあったわ。マップを複雑にするなと指導してた
監修してるよ
プレーしてアドバイスしたりセリフのダメ出しとかもしたり
キャラバクラ行きまくりも言われてたし
元からエロ親父丸出しだっただろ
中川翔子を起用する方がはるかに印象悪い
海外展開提案がブランド殺しただけなのが暴露された
ネガキャンじゃなかったな
草
ゴキのネガキャンとかいってたあほいたなw
もともとサブカル周りウロチョロしてたタイプのおっさんなんだから不思議じゃなかったのにさw
だなあ
ドラクエ好きだったから悲しい
20年ほど前なら98年前後
DQ7開発中の頃だな
ソニーが「ドラゴンクエストが早く出ますように」のCM打ってた頃か
あっ…
2000年8月26日 ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち
1997年1月14日、エニックスは本作の対応機種をプレイステーション(PS)とすることを発表。
当時のゲーム雑誌の記事によるとその理由は「最も売れているゲーム機であるから」となっており、
同年にプレイステーション用として発売された『ファイナルファンタジーVII』(以下FFVII、開発・発売・販売スクウェア、現スクウェア・エニックス)による直接的な影響は無いとされていた。
ただ、「ハードの販売台数として500万台は必要」と発言しており、FFVIIの発売決定により販売台数が急増していたプレイステーションは、
同年1月9日に開発・発売・販売元のソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)が国内出荷台数500万台の突破を発表するとすぐにエニックスもPSへの参入を発表、本作の発表はその5日後のことであった。
この発表は新聞などで取り上げられ、セガ・エンタープライゼス(現在のセガ)がバンダイとの合併を大々的に発表する事態に追いやられるなど、ゲーム業界にも影響を与えた。
また、福嶋康博エニックス代表取締役社長(当時)は新聞のインタビューで、プラットフォームを移すにあたり京都の任天堂本社に2回赴き山内溥社長(当時)に挨拶、謝罪したと答えている。
そのときの返答は2回とも「ああそうか」だったという。
FFVIIの発売とドラクエVIIの発売決定により、プレイステーションは品薄状態が続くほど販売台数にも拍車がかかり、
同年末までに更に500万台を出荷、国内出荷台数は1000万台の大台を突破した(この時期のことはPSブームと呼ばれることもある)。
しかし、本作は発売延期が何度もあり、一度は1999年12月29日の発売が予定されたが、土壇場でさらに延期された。
このとき、SCEの担当者が何度も来て年末商戦の目玉としたいと求めたのに対し、
福嶋社長は「年末商戦に同ソフトを発売するのは、これまでお世話になった任天堂に対する裏切り行為になると考え延期を決断した」、と日経産業新聞紙上で回顧している。
また発売延期発表の少し後、堀井雄二が集英社とエニックスの広報体制に不満を持ち、自身のウェブページで突如制作の無期延期とも取れる発言を行い物議をかもした。
結局発売されたのは、既に次世代機となるPlayStation 2(PS2)が発売された後の2000年8月26日となった。実に製作発表から3年7か月を要した。
販売促進活動としては、1999年初頭に、SCEから「『ドラゴンクエスト』が早く出ますように」と人々が神社でお願いをするテレビCMが放映された[26][27]。
また、これとは別の、本作の発売前のエニックスによるテレビCMではSMAPが出演した[26]。
また1999年春の東京ゲームショウでは「ドラゴンクエスト神社」ブース内で本作に関連したビデオが上映され[28]、
1999年秋と2000年春の同ショウでは、本作の体験版をプレイ可能な試遊台が設けられた[29][30]。
2000年7月からはウェブサイト上での本作のオンライン販売が行われた[31]。キャッチコピーは「ひとは、誰かになれる。」が使われた。
直前に発表してたら生放送荒れたぞ
コメント
不倫で離婚とか人間性最悪だな
今日から堀井雄二率いるビアンカ派は俺幼馴染としか無理だわ~って言いつつ結婚後に不倫してる優柔不断野郎になるからよろしくね?