1: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:dD7T5RXb0
東南アジアは侵略したのに日本をスルーしたのはなぜ?
35: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:cE/aN7vm0
>>1
日本史か世界史の時間に習わんかったんか?
バテレン追放令が出てて異国船は打ち払われてたからだろ。
近郊なら軍船で押し寄せて殲滅してただろうが地球の裏側まで進軍するコストが見合わなかったのと
東インド会社がインドとか中国とか支配するのに手一杯で日本まで出張れなかったという側面はあるだろう。
唯一アメリカだけが貴重な燃料である鯨油を得るために太平洋でクジラ乱獲してたから
寄港地として日本を無理やり邂逅させる必要があっただけで。
2: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:dtXqd0vk0
キリスト教云々が侵略だったらしい
3: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:rOEw/olU0
遠すぎなのと結構な軍事国家だったから
4: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:jTCkKqtH0
秀吉がデマルカシオン体制にブチギレてイタリアに脅しの文章送ってる
5: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:FHKzPvIK0
宣教師からの報告で
戦闘的な民族性(戦国時代だったからだけど)だから
ことを構えるのは得策ではないとされ
それよりも良質な金・銀を得るために
貿易をした方が良いと判断された
この辺は文献あったはず
6: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:fm7saOAE0
そら、たくさん銃持ってたからビビったんやろ
7: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:Q8tFrjFF0
秀吉が人が奴隷として連れて行かれている気づいて
大層怒ったらしいぞ
9: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:n+btGjQx0
資源がないから
10: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:yb8xPkQZ0
>>9
黄金の国ジパングやぞ
12: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:jTCkKqtH0
>>10
江戸中期くらいまでは実際に世界屈指の金産出国じゃなかったかな
27: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:6Zb5YdiN0
>>9
当時の日本は世界トップクラスの銀の産出国
物がなさ過ぎ、貧乏過ぎて直接的な侵略されなかったのは半島だよ
日本も対ロシア防衛の為で半島の統治は日本で品種改良した作物の生産が軌道に乗ったり、日本の資本と技術で作った工業施設が稼働するまでは赤字だった
32: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:KZq+d6ew0
>>9
これが理由やな。資源があったから国が強かったんだろう
11: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:jTCkKqtH0
信長も宣教師どもをビビらすためにパレードとかやってるからな
尖兵なのは百も承知よ
13: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:fno8GwFm0
日本以外のアジアは侵略されたいうが
ネイティブ・アメリカンやアボリジニやアフリカ黒人に比べたらままごとレベルのことしかされてないのよ
なんやかんや中華という大帝国がいたおかげよ
31: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:6Zb5YdiN0
>>13
満州人の絶頂時代の強かった時の清にロシアと小競り合いして、対等な条約を結んでるのよね
その過去の遺産のお陰で内部の揺らぎ、腐敗が表面化する清の末期になるまで眠れる龍として一定の評価をされてて、ガチでやり合おうとしなかったんだよね
34: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:ZPfSTI080
>>13
シナではそう改竄されてるの?
ボロ負けした現実は隠蔽してんだ
14: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:g8lHM8cF0
たしか何かで見たが台湾までオランダがスペインに取られてるご様子
15: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:mkm/H2sP0
ガチでやりあったら損害凄そうだから、
キリスト教徒を増やして中から転覆するわって路線に切り替えたんやろ
それも途中でバレてキリスト教は追い出された
17: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:g8lHM8cF0
秀吉の時代にスペインがちょうどボロ負けして
それどころじゃなくなったはず
18: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:g8lHM8cF0
日本は実力もあるが
運が良いんだよ意味が分からないw
19: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:/2sBNW0z0
侵略されかけてたよな
宗教は洗脳も出来るから恐ろしいよ
20: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:1lY5vzgj0
ちゃんと関税かけてたしアヘンも水際で切った
どこかのアホ大陸とは違う
21: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:ycjKBCe+0
キリシタン大名なんて出てきたから、
割とガッツリ調略されてたよな
22: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:keVe1dVl0
>>21
畿内の統一がもう少し遅かったらヤバかったな
23: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:27af5pc70
しようとしてたけど防がれただけ
24: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:1Bqooli30
神風みたいは運もあるけど
その時代時代の統治者が有能だったんだろうな
25: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:g8lHM8cF0
日本で好意的に思われていたカトリックですが、
突然「豊臣秀吉」は1587年(天正15年)、「バテレン追放令」(キリスト教禁令)を発布。
これは、キリシタン大名達が領民をキリスト教に改宗させ、キリスト教の洗礼を受けた日本人を、
大量に海外に奴隷として売買していることを知ったからdeath
26: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:lM2VYxhQ0
宗教で国民や権力者の思想をコントロールしてから侵略みたいなテンプレに気づいた秀吉がキリスト教を追放したから
29: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:LRBLmRbo0
遠いし他に狩場がいっぱいあったしな
長距離航行ができるようになってペリーが開港迫った時も捕鯨船の補給基地を求めての事だし
その頃に攻めればワンチャン落とせただろうけどその後数十年で近代化してロシアに勝つ程の海軍国に化けてるし
30: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:B9e0llr40
世界的に見て侵略されなかった国家の方が珍しいからな
海に囲まれてたってのもデカいわ
37: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:LRBLmRbo0
いやまあ北米南米の暴虐はアヘン戦争諸々が甘く見えるレベルで滅茶苦茶やってたからな
人間扱いしてないんだから
43: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:b4Bb9bbF0
>>37
あのへんは部族制の地域が多くてマトモな国家が無かったからな
宗教も原始的だったし
インカ帝国辺りは土着の宗教的な文化を悪魔の宗教、邪教徒の集団って否定されてマジで人間扱いしなかったし
ルネッサンス以前はアジアって欧州より文化の先進地域だったから自分達と違う、自分達より進んだ部分もある文明圏の国だって認識があったんだよ
南米とか北米はそういうの無かったから容赦無かったんだよな
38: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:g8lHM8cF0
スペインは16世紀末から17世紀を通じて急速に衰え、大国の地位を失っていった。
海外との取引の実際の利益の多くが、イギリスとオランダの密輸業者に握られていたこと。
より直接的には、1588年に無敵艦隊がイギリスに敗れ、制海権を奪われたこと、
1609年にオランダが実質的に独立したこと、
1640年にポルトガルが反乱して分離したことなどがあり、特に、三十年戦争への介入は財政破綻をもたらし、
17世紀のスペインの衰退を決定的にした。
80: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:Icec23P6M
>>38
キリスト教の布教が難しい国々と国交を築くことによって
オランダとイギリスが躍進していったって感じなんだろうな
特に日本は稀有な存在で資源に恵まれていたことに加えて
内乱の真っ只中にあって軍事力が非常に高かった
兵がイかれてるわ、質の高い武器防具を自作するわで
対スペインにおいて与えた影響は大きかったらしいね
NHKの歴史番組でそういう内容を見たわ
家康もイギリスと国交を結ぼうと動いていたようだけど
結局は実現しなかったんだよな
支配を嫌った日本側と利益を独占したい蘭側で利益が一致
それによって英側が弾き出されてしまったのかな?と
40: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:0ShD5weV0
サッカーの強豪国ばかり
日本は野球の国だったから助かった
47: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:5qlmTpbd0
>>40
これはアメリカの植民地
48: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:yZwGyA2/0
>>40
レベルEかよ
66: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:og8iIaGx0
>>40
やっぱ野球よ
41: mutyunのゲーム+α ブログがお送りします。 ID:pCogyGbK0
遠い、強い、宣教師情報工作効いてない
引用元
コメント
中国が恐れられていたのは確かだけど周辺の東南アジアは侵略されてたんだから中国のおかげではない
まあその中国さんも日清戦争で国土でかいだけの雑魚とバレたんだけど
眠れる獅子ってね
まあモンゴルやオスマンの印象だったがもう腑抜け阿片だったと
ちなみに鎖国で外国のことがわからないは最近となっては古い知識で、オランダを窓口に結構外国の情報を集めてたけど幕府の専権事項として重要な情報は下に伝わらなかっただけって話らしい。実際、市井に下りたネタは解体新書とかみたいな「外国の政体と全く関係ないような知識」ばっかだし。
実際、シーボルトとかドイツ人だし(建前上オランダ人でなければならないのでつたないオランダ語について一応誰何されたが「私は山オランダ人なので訛りが強い」と乗り切った話はよくネタにされる)、担当の役人や責任者もある程度はオランダ人じゃないなと見切った上で敢えて突かないみたいな感じだったんじゃないかな。
そうやって建前を信じたふりをしつつ全幅の信用は置かなかったからこそ、地図を持ち出そうとした時にすぐに見つけられたと思うのよ。
戦国時代終わって武士が駄々あまりして
「どーすっかなー」ってなってたらまだ戦乱中のオランダをはじめ
欧州が取引持ち掛けて傭兵として送ったら
インドネシアを占領できるくらいの戦績は挙げてた
ただしそれに見合った対価を要求し刀を抜くこともあったため
敵にしても味方にしても恐ろしい存在となり・・・
当時世界で一番銃持ってたんだっけ?技術身に着けて即量産して内乱繰り返してる野蛮人ってなるとまあ怖いわな。島国じゃ侵略コストもデカいし
銃売って商売になると踏んで次回大量に銃売ろうと目論んだら
「あそれもう作ったから」って国と戦争するのは得策じゃないよなw
野蛮人なら簡単に制圧できるんだよ
きちんと文明があるからこそ怖いんだよ
当時の帆船で遠出して動員出来る兵(兼船員)は少ない
だから少数で無双出来そうにない相手のとこで無茶はしない
イギリスフランスのアフリカみたいに
ヨーロッパは基本的に蛮族
当時の人口に対する兵士数も大きく違ったんだとか
ヨーロッパ各国がおおよそ1%超が基準なのに対して戦国日本では1割と片手間でどうにかなるレベルを超えていたのは大きい
多分上で言ってるのは1690年頃にやり合ってた清露国境紛争の方で、この時はほぼほぼ清の主張する国境線で確定したんで、清側の勝利と言っても過言じゃない。
一方下で言ってるのは北京条約じゃないか。英仏vs清で清がボコボコにされた後の敗戦処理だが、なぜか仲介したロシアが沿海州(ウラジオストク)を掻っ攫ってる。
現中国は清の最大領土の回復を目的としており、日米との対立が一段落したら沿海州を取り返しにかかるって話はある。
大航海時代だと東アジアは西洋から遠すぎて何も旨味がない
その時代に植民地になっていたのは陸だとインドまで、海だともう少し遠くまで足を延ばせるにしても精々フィリピンまでだった
だからカンボジアとかベトナムとかミャンマーも植民地になったのは19世紀になってからだし、逆に19世紀になってからは清とかの大国にも欧州の列強国が手を出して来ていた
幕末のあれやこれやも実際には白人のアジア切り取りの一環だったから欧米が日本を侵略しようとしなかったというわけじゃないよ
ただ、19世紀になると覇権主義を唱える国が多くなって大国間で立ち回る隙が生まれたから日本とタイは上手くそれに乗って独立を保てた
ポサドニック号事件、下関戦争における彦島占領、そして奥羽越列藩同盟と会津藩が武器購入のためにプロイセンに蝦夷地の租借権を売ったことなど植民地化に繋がる危機は数々あったが幸運や列強同士の牽制によってなんとか切り抜けられたのは本当に良かった
オランダと組んで弱小イギリスを追い払ってるだろ。歴史なんも知らんのにゲハでスレ立てんなや。
カマッテちやんのゲハ執着ウゼー、
話が16世紀から19世紀まで広がってるせいで、ごちゃごちゃになってるが、概ね侵略を受けなかったのは、タイミングの問題だろう。
16世紀のタイミングではスペイン•ポルトガルの切り崩し工作が九州のキリシタン大名って形で行われてた以上、信長•秀吉による統一が遅れてたら違った結果もあったろう。
ちなみに大阪冬の陣の決定打となった”エゲレスのカルバリン砲”は発注から1年位で納入されたらしい。正直距離的な問題は大きな問題じゃないかも知れない。
その後の17世紀18世紀は、ヨーロッパ内で激しい戦争状態になって、ポルトガルスペインが没落、オランダも占領される有様で、東アジアに構ってる余裕が無くなった。だからこその太平の世は実現できた。
だから19世紀に列強が東アジアに戻ってきた時点で、太平の世は終焉を迎えざる得なくなったわけで。