東京オリンピック開会式への怒りと絶望…ゲームへのリスペクトがない演出とそれをありがたがる人々が許しがたい【コラム】
https://www.gamespark.jp/article/2021/07/25/110634.html
7月23日、東京オリンピックの開会式が催された。相変わらず東京での感染拡大は予断を許さない状況ではあるが、無観客といえど会場の周囲には多くの人間が集まった。
同日朝にはブルーインパルスが飛び、その様子を見るために多くの人々が屋外で空を見上げた。個人的には何から何まで乗れないまま始まったオリンピックだが、人々はさっそく怒りや恐怖から麻痺し始めているようだ。金メダルを取れば人々はすべて忘れるだろう、というような考え方も信憑性を帯びてきたように感じる。
それが何より腹立たしいし、医療現場の人々のことを思うと、あまりにやるせない。
死者数は確かに減っているようにも見えるが、新型の「デルタ株」も日本に入ってきており、インド(言うまでもなく温暖な国だ)では400万人以上が死亡した、との見方もある。
インドにおける正確な死者数はさておき、7月24日時点のWHOの報告でも累計で1.9億人超が感染し、400万人以上が亡くなっているわけで、さすがに「風邪と変わらない」というのは無理だろう。
無観客だから問題ないといった見方もあるが、選手間でも感染は始まっているし、五輪関係者への検査数が明らかに都の検査数を逼迫しているという現状がある以上そうはならないだろう。
「バブル」とやらも、到底機能しているとは思えない。
東京では病床は枯渇し、緊急事態宣言が出ている。「酒類の販売規制のため金融機関から圧力をかけるよう働きかけろ」というような要請が問題視されたのは数日前のことだった。
彼らが言うには、東京は今まさにろくすっぽ酒も飲めないような緊急事態のはずだ。なのに数万人規模で人の行き来のあるイベントが今まさに進行中である。2つのまったく矛盾している事案が同じ国家/自治体という同じ主体によって行われていく様子はまったく理解不能で、地下芸人のコントのように不条理だった。
当事者じゃなければもしかしたら笑えたのかもしれないが、我々の大半はワクチンも未だ摂取できないまま、感染リスクや、やがて来るであろう大増税の気配に怯えている。
各紙によってバラつきがあるが、オリンピックに反対する国民はおよそ半数以上に及んでいる(少なくとも開会式前はそうだった)。東京大会の「延期」(中止ではなく)を決定した安倍晋三前首相によれば、オリンピックに反対するのは反日的な人々であるらしい。
(国家運営の中枢たる国会で118回に渡り虚偽答弁をする人間を普通「愛国的」とは言わないと思うが……。)ともかく、オリンピックを楽しむかどうかにはすさまじく政治的な角度がついている、ということは確かで、それは「愛国/反日」などという簡単な二項対立では到底語ることができない(そもそも「愛国であれば良く、反日であれば悪い」という簡単さはどこからやってくるのだろうか?)。
長々と書き連ねてしまったが、僕が何を言いたいかというと「オリンピックを楽しむことももはやかなり政治的」ということだ。自治体や政府によって強行開催され、そのために多額の税金(都税だけでなく国税も含む)を投入して省庁まで作られ、いま、人命軽視や感染拡大をある程度許容するという取捨選択によって行われている。
それでもオリンピックを楽しむというならそれは一つの考え方だろうが、もし死者数が増えたり、デルタ株が蔓延したりした場合には(そうなってもおかしくない状況だ)その責任の一端を負うということだ。
そんなの真っ平御免だから、僕はオリンピックを見ることはしない。いくら大好きなソニックに言われてもだ。
このオリンピックの開会式でゲーム音楽が使われることの意味
どれだけ距離を置きたくても、このご時世オリンピックの情報を一切遮断することは難しい。開会式では様々なゲーム音楽が使用されたとのことだ。
見てないし今後見ることもないので詳細はわからないが、すぎやまこういちによる『ドラゴンクエスト』の曲も流れたらしい。比べるものでもないが、すぎやまこういちが過去にした「オリンピック精神にもとる」問題発言の数々は、それぞれ過去の問題発言や行為を指摘され辞職や解職に至った小山田圭吾や小林賢太郎に劣らない。海外を含め、
その目が敏感になっている現状で、オリンピックにおいて氏の楽曲が使用されることの意義について糾弾されることになってもなんら不思議ではないだろうし、現にそうした報道も海外で散見される。勘違いされると困るので言っておくと、これは「『ドラゴンクエスト』を遊ぶな」とかそういうことでなく、オリンピックにとって適切かどうかという話だ。
ここ数日で起きた大量の首の挿げ替えには様々な言い方がある。「キャンセルカルチャー」との批判もあったが、そもそもオリンピック自体が「オリンピック憲章」という理念に基づいて運営されている(はず)のイベントであるので、その批判は当たらない。ポリティカル・コレクトネスがお嫌いなら、まずはオリンピック憲章を批判し、そして、そんなイベントを誘致した連中を批判してみてはいかがだろう。僕が思うに、これはキャンセルカルチャーなどではなくトカゲのしっぽ切りだ。起用した人間、責任者は誰が辞めただろうか?
ナチス・ドイツに親和的な発言を(小林賢太郎よりも遥かに最近に)した大臣も辞めてないし、ここにきて(問題発言のバーゲンセールで知られる)森喜朗を名誉最高顧問に、という動きまであったそうだ。
ここ一年で流れたニュースによって分かったように「商業オリンピックの本質とは邪悪であり、差別主義者が作った音楽が流れるべき」とするなら、すぎやまこういちはまさにこれ以上ないほど適任であるだろう。
しかし開会式では他の様々な楽曲も用いられたということだ。『ファイナルファンタジー』や『サガ』シリーズは、“かみ”を殺したり、環境テロリストが主人公だったり、その世界の仕組みそのものを恨むような反権威的なシリーズのはずだ(もちろん解釈は人それぞれあってよいが、少なくとも僕はそう思う)。
件の『ドラゴンクエスト』シリーズ然り、その他の作品にも、単に勧善懲悪の(悪は滅ぼすべき存在であり、みんなで団結し消滅させれば小さな問題は考える必要もない)短絡的なメッセージをもつ作品は少ないのではないだろうか。そういうものが、本来そのゲームがもつ文脈とはかけ離れ、こんな時だけ(香川県の例を思い出してほしい)国や自治体に都合よく切り出されて使われるのは、ビデオゲームファンとして全く許しがたいことだった。
僕がなにより絶望したのが、同業のゲームライターたちをはじめとして、ゲームファン、クリエイター、インフルエンサー、場合によっては作曲家当人もが、この件に感動しここまで指摘してきた諸問題を見なかったかのように「ゲームが認められた」というような論旨の発言を恥ずかしげもなく振りまきだしたことだ。国威発揚に都合よく利用されることは認められていることとは全く違う。
同性婚の認められていない国で虹色のドレスが登場するのと同じで、つまりは「利用価値があるうちは、使ってやる」と言われているだけだ。
表現は不当に規制され、バッシングの矢面に立たされてきたビデオゲーム文化を、こんな時だけ都合よく使われるのは(繰り返しになるが)本当に許しがたいことだ。ゲームというものは一人で作るものではないし、『ドラゴンクエスト』シリーズも、最新作では同性婚を実装するなど、一人の思想だけが反映されるわけではなく、進歩の兆しをみせてきたはずだ。
そうした政治的に一枚岩でない集団の成果物としてのビデオゲームのイメージをここまで「政治的」なメッセージを持つイベントに借用すること自体に問題があるということも指摘しておきたい。
とにかく、今回の開会式にはムカついた。それについてビデオゲームライティングに携わってきた自分が批判的な目線を向けられないのであれば、それは批評の死だし、自分の「ゲームレビュー」にどれだけの価値があるだろうか?そう考えて今、机に向かっている。
「ゲーム音楽」の演出“だけ”はよかったという素朴さだけでは語れない
……語気が荒くなってしまったが、もちろん「オリンピックを楽しむ」という立場はあり得る。あり得るがそれも「反対」と同等(かそれ以上)に政治的な意味合いがある、という自覚をもった上で楽しんでほしい。「ゲームファンだからゲームの音楽が流れると純粋に嬉しい」という素朴さだけでは全く語れない様々な機微がそこにはある。ゲームファンの中にだって直接的であれ間接的であれコロナによって亡くなった人もいるはずだ。それだけではない。家族でコロナを失くした人もいれば、時短営業により経営難に陥ってしまった店の店主やその家族もいるきっといるだろう。彼らの血や涙の上に新国立競技場は屹立していて、その上で「国家が承認する最良の娯楽」たるスポーツ大会が行われる、という構図になっている。
そういう機微を想像すること、“描画されない”物事への「想像力」はゲームファンの、いや、すべての創作物を愛するものの武器であるはずだ。我々はゲームを遊ぶことで様々なことに想像を働かせてきたのではなかったか?「反対」だけに政治性を押し付けないでほしい。気難しいバカだけが反対していて、何も考えずに楽しむのが賢いなどと考えないでほしい。
秋には衆院選がある。もちろん選択は自由だが、老人たちに「ゲームファンは大増税しても何しても、ゲーム音楽を流してれば文句言わずに従うチョロい連中」などと思われないことこそが本当にゲーム文化を守ることや、リスペクトすることにもつながるはずだ。オリンピック開会式が本当にゲーム文化をリスペクトしたものであったか、そしてそもそも東京オリンピックがこのまま行われるべきなのか、今一度考えてみてほしい。
つうかさ、このままじゃいつかビデオゲームなんか貧乏人は遊べない金持ちの娯楽になるかもしれないぜ。そんなん最悪だろ。
よく纏まっているね
でもこれじゃ興味は惹かれないなぁ
別にこれ以外の意見があっちゃいけないとも思わんけど
書いたやつイライラでザマァw
スポーツ見てるだけやで?
オリンピックを開催するかどうかが選挙の争点になるくらいだから政治とガッツリ関わっとる
全くわからん
賛成反対ならわかるけどスポーツ見てすげーって言ってるだけやん
でも結局そういうことじゃないの?
ゲームに作家性を求める声もあったけど、それは「このゲームやってる俺スゲー」を満足させたいから、クリエイターにもメディアでそれっぽく振る舞ってほしかった
全員がとは言わないけど
しかも滅茶苦茶理論やんけ…
それだけははっきりしてる
五輪とも各国の文化とも関係ないもん
なんでゲームメディアでコラム載せたのかわからんけど
ワイが雑にまとめた
・・開会式は見てない
・コロナ化でオリンピックを楽しんでる奴は自民支持者の売国奴
・ソニックに言われても俺はオリンピック見ない
・オリンピックは金儲けの祭りで邪悪だから差別主義者のすぎやまこういちの曲はナイスチョイス
・差別主義者のすぎやまの曲はいいが他のゲームの曲を使われたのは許せん
・同業のライターやクリエイターが感動したと言ってることに絶望した
・自民はクソ!
コメント
糖質レベルのいちゃもんで草
頭にアルミホイルかぶってそう
最後のあたりの「秋には衆院選がある。」以降だけ読めば無価値な便所の落書きと分かる
いつもの頭おかしい左翼風味
チョロくていいじゃん
チョロイならそっちに向けて良い顔してくれるようになるんだから
本当にチョロいんなら、それを囲い込めないパヨクはどんだけ無能なんだって話よな
最初はゲーム音楽で確かに食いついたけど、最終的に音楽は二の次で、世界各国のアスリートが笑顔で行進してる姿に感動したよ。
パヨクさんはどこでも頭おかしい人ばっかり
任天堂の曲がないってだけで大喜びする基地外もいるし
アホを炙り出すいい振るいだわ
最後の文で歩み寄ってるつもりかもしれないけどキモすぎて無理
筆者が積極的に政治持ち込んで話すなよw
それも見てないのにw
差別に反対する者ほど差別的な振る舞いをするし、政治的主張を止めろと言う者ほど政治的主張をする
開会式評だと「ゲーム音楽はプレイヤーのために作られてきた」みたいなコメントの方が万倍心に残ったな
あの小山田圭吾に非難の声上げた障害者団体だって全部辞めさせるようなキャンセルまでは望んでなかったんだけどな、きちんと向き合って欲しいと言ってただけで
見るも無惨な開会式騒動の中でもちゃんと問題点切り分けて批判してた人ら見てるとクソもミソも一緒にするような雑な言説はほんとしょーもないわ
そもそも障害者団体は遺憾の意を表しただけで小山田を最初に問題視したのはネット界隈なのよね
使われる事自体は、別に良いと思うぞ…
気づいている人がどの位居るのか知らないが、カフェでもアレンジ曲が流れていたりするしな。
只、今回は選曲に疑問があるけど…
ゲームスパークって前から碌でもないサイトだとは思ってたけどまさか政治ネタにまで手を出すとはな
そこまで堕ちてたとは
長文読めない馬鹿がホントに増えているな
内容に賛同は出来ないが、そこまでたどり着けずに批判するヤツは生きてる資格は無いわ
何発狂してんだお前
どうやったらコメント読んでない奴が不特定多数いるって分かるんだよ
何でお前の許しが無きゃ生きてちゃダメなんだ???
これもしかして、ぱよぱよち~ん!ってやつです?
この人もどうせダブルスタンダードなんだろうなあ・・・
個人的には割と共感できるかなあ…
ゲーム音楽を”とりあえず手間をかけずに用意できて且つ国民へのアピールになる都合のいいコンテンツ”扱いされるのが嫌って話でしょ
自分もゲーム音楽が取り上げられるのは嬉しかったけど、選曲も曲順も適当でかなりやっつけで用意された感が強くてあんまり嬉しくなかったな あげくの果てに時間余ってループさせてるしね
ちゃんとオリンピック用に編曲されててしっかりしたメドレーとかだったら素直に喜べたと思う
主張のための手段がおかしい典型なんだよ
そもそもが怒りと絶望っててめぇの主観で語ってる時点でライター失格だわ
>>って話
だけでなく、上手くいってない部分の政治話を積極的に持ち込み最後に「このままじゃいつかビデオゲームなんか貧乏人は遊べない金持ちの娯楽になるかもしれないぜ」と〆る。
あぁ、いつかみた光景。
開会式もゲーム音楽もオリンピックも材料でしかない、ただただ政治批判したいだけの話だった。
なんでもかんでも政権批判につなげるから嫌われるんだぞ。
日本で作られたゲーム音楽が流れて、「これはドラクエの曲だ」って
盛り上がれるんだからそれはそれで成功でいいじゃん。
利権と社内政治に使われて良かったね本当に良かったね
あの件で酷かったのは選曲ラインナップもそうだし、その後の芸もそうなんだけど
元々は各国をイメージした着物をきたモデルが世界平和と友好を祈念して舞踊する予定が本来あって、すでに参加国分の着物が出来てたんだよ
それが後から乗っ取った奴がボツにして(この時点で血税ウン億霧散)、かわりにあのクッソつまらない芸入れたってこと
さらに着物の一部も行方不明で乗っ取った連中が持ってちゃったって専らのウワサ
そのグダグダの代打で出場したゲーム音楽が任天堂不在な上調整不足にも関わらずトレンド入りしたりして世界中を沸かせたんだよな(MVPはピクトグラムパントマイムだとは思うけど)
ゲームの力ってすごいんだなって感じたよ
ゲームメディアによる政治主張とそれをありがたがる人達が許しがたい
神殺しストーリーのゲームは、反権威的がテーマだ!なんて思ったことは一度もありませんし、そんなふうに政治メッセージを探しながらゲームしません
ゲームはゲームです。創作は創作です。
例えどんなに政治的なテーマでも、そのぶつかり合いが面白いストーリーなのであって、どっちが善し悪しなんか語ってないですよ、と。
エアプパヨクに勝手にダシにされたウケツケジョーやつれぇわ王子とか怒っていいと思う
プレステとか好きそう≒蓮舫とか好きそう
証明完了
とりあえず敬称を使わない時点でどうなのよとは感じた
そりゃ思う所は各個人あるだろうけど自分の意見が唯一絶対の正義って書き方になってるの傲慢だと思うし酷すぎるわね
しかも政治利用!とか言っといて自分が一番政治利用してるブーメラン芸
かなり無理目な角度からでも、イデオロギーや政権批判を投げ込んでくるの本当に勘弁してほしい
楽しくエンタメの話してても突然政権批判に結び付けて「え?え?」ってなるわw
大手メディアがよく社説でやってるねぇ
笑えるから、つい読んでしまうんよ
ゲームくらい自由に遊ばせろや
なんでもかんでも政治に結びつけるのが当たり前だと思うな
「自分の嫌いなもので他人が楽しそうにしてるのが許せない」ってだけの我が儘だろうが
30歳以下はオタクバッシングの歴史を知っていたとしても体感はしてないし、オタクが冷笑の対象という認識もないし、むろんオタクをただオタクというだけでいちいち叩かない。そういう概念がないから。オタクを叩くとすればその個人が非常識だったり服装や体臭だったり、的はずれな言動をしたりした、その行為やエチケットや認識に対してだ。
当時の認識のままでいまを語るのは、時代錯誤すぎて哀れとしか。
そういうのを左翼ほど歴史修正主義って呼んで嫌ってなかったっけ
アイヌも在日も障害者も今叩かれてないならそれでええやんってなるけど
サヨ(太田啓子とかいう放火魔のお仲間ども)が服着てる宇崎ちゃんポスターを叩いて献血の邪魔をして、それを今では無かった事にしようとしてるんだよねえ
「伝説が始まる時の曲」だから
これ以上に五輪に向く曲はあるかね
任天堂のゲームの曲は逆に使いずらいんだよ
すでに伝説だし
あのゲームサイト
コメント欄もパヨ臭いのばっかだったよな
アホが騙されてカモにされてるという点ではファンボーイと共通してるからな
Daigo とか好きそう